カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[24]

投稿日:2012年12月15日

かつては幻の国道と呼ばれていたが

三重←愛知←静岡←神奈川←東京

 志摩市の浜島から国道260号を西へ。かつての狭路、難路も大分、良くなっている。
 国道260号は「幻の国道」といわれたほど。地図上にルートはあるのだが、実際に走ってみると通れない箇所が何ヵ所もあるというような国道だった。
 スズキ・ハスラーTS50を走らせての「30代編日本一周」(1978年)の直前に全線が通行できるようになったのだが、そのときでもまだ狭路、難路の連続。そのときの様子は次のようなものだ。

伊勢から志摩へ海沿いの国道260号を行く。山々が海にせり出し、海沿いのルートにもかかわらず峠が連続する。峠を越えると隣の浜に出る。そこには漁港があり、家々がかたまっている。道が狭く、集落の中では車のすれ違いが難しかった。バスとトラックがすれ違うことができず、長い車の列ができることもあった。入江ではタイやハマチの養殖が盛んにおこなわれていた。青ノリの養殖も盛ん。河口ではオバサンたちが川に入ってズラリと並び、天然の青ノリをとっていた。

『賀曽利隆の50ccバイク日本一周ツーリング』
交通タイムス社刊より

 三重県は複雑な県で、旧国でいうと伊勢、志摩、伊賀、紀伊の4ヵ国から成っている。志摩市から南伊勢町に入ると、そこは旧伊勢国になる。
 南伊勢町の東宮は河村瑞賢(1618年?1699年)誕生の地。そこには瑞賢の案内板と石碑、銅像が建っている。河村瑞賢といえば江戸時代の偉人だ。
 河村瑞賢の案内板には次のように書かれている。

元和4年、東宮に生まれ、13歳の時に江戸に出る。数々の苦労を重ねるが、江戸明暦の大火に際し、木曽の木材で巨利を得、次第に幕府御用商人の巨頭となっていった。江戸の復興にあたり、土木家としての手腕が認められ、その後、幕府の要請をうけて、東廻り、西廻り航路の開発や、大坂や酒田をはじめ各地の治水工事にも多大の功績を残している。この間、郷里に石鳥居、大般若経などを寄進している。元禄12年、江戸に没す。行年82歳

 河村瑞賢のやったことで特筆すべきは、日本海航路(西廻り航路)を開いたことだ。これによって江戸時代の日本では日本海が物流のメインルートになり、千石船の行き交う敦賀や三国、伏木、酒田などの日本海の諸港は空前の発展をとげた。
 酒田港の日和山公園には池に浮かぶ千石船の模型が展示され、築山には河村瑞賢の銅像が建っている。故郷・南伊勢町東宮の銅像と合わせ、酒田の銅像も千石船の模型と一緒に紹介しよう。

IMG_4334_smallIMG_4337_small

国道260号を行く
河村瑞賢の案内板


IMG_9788_smallIMG_9789_small

「瑞賢碑」
河村瑞賢の銅像


IMG_9937_smallIMG_9940_small

酒田・日和山公園の千石船の模型
酒田・日和山公園の河村瑞賢像


Comments

Comments are closed.